なにわのアルゴ座

星見が好きな大阪のおっちゃんのブログです

お月見はBS双眼が気持ち良い

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空がきれいに澄んでいたので夜中のお月見です。

思い立ってから数分、手軽にさっさと設置できるスカイメモSを経緯台に、望遠鏡は大阪市内では短い焦点距離からほとんど出番の無いがしかし、双眼をそのまま取り付けることができる点が重宝するウィリアムオプティクスのZ71、アイピースはお気に入りのスコープタウンのor14mm。これで何度もお月さんを見ているが、毎回その見え具合に「うぉ~ キレイだ~」と感動しています(毎度同じリアクションしています)。

双眼は立体に見えるだとかそういう一般的なことはさておき、とにかくキレイの一言に尽きるのです。月の詳しいアレコレうんちくなどもさておいて、ただただ月の見事さに見惚れることができるのです。たまに薄い雲が流れて月にかかったりすれば更に強烈にドラマチックな画に変化し、それが一瞬一瞬動いているのだからたまりません。

まったく雲が無いよりはたまーにいい塩梅で雲が薄く月にかかってくれるという微妙な空がこういうお月見には最適。室外機の上にホットコーヒーを置いて、チビっと飲んじゃぁ眺め、を繰り返していると知らないうちに身体が冷えてきてしまい、あぁそういう季節になってきたんだなぁと感じます。

 

機材好きの人や機材同型を使用している方へ役立てばとメカ的なことを少し。

たいした性能でも無いのであまり使用している人も購入を考えている人も少ないでしょうが、総合的にはまぁまぁ良い望遠鏡のWO-Z71。ED入っていますので中心部は一般的な性能で良いのですが周辺はAPSでも流れますので写真命の人はチョイスもしないでしょう。

高度が低いのでプリズムは使用せず、その為直接Z71に双眼装着でピントがきます。装着するアイピースによって前後しますから2インチエクステンダーは1つくらいあった方が良いでしょう、あと数ミリというところでエクステンダー必要になったりするアイピースもあります。私の場合は40mmエクステンダーを複数個用意して双眼やバロー、TリングつけたEOSを使ったりする際にあれこれ調整して全てに対応できるようにしています。写真の状態での同郷総重量はおおよそで3.5kg弱。スカイメモSでのウェイトは標準のものでは足りないので2kgくらいの他の赤道儀のものを流用しています。この場合のフィルターはBS双眼部分に31.4mm、2インチエクステンダー部分に2インチのフィルターがつけることができますので一般的なフィルターであれば装着したままアイピースをとっかえひっかえで見え具合を比較することも容易でけっこう楽しめます。

 

 

伝える意識の欠落が人にどんな感情を残すかを学ぶ観望会

ほとんどの人にとって最も身近で魅力的な夜の天体は月でしょう。

晴れた日の夜、コンビニに行くほんの数分の道中でも、光溢れる都会のど真ん中でも、空を見上げぐるっと首を回せば、位置や方位などわからなくても月はどこかに浮かんでいます(もちろん新月の時は見えないんですけどね)。

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 そんな「月と土星を見よう」という、とある公的施設の観望会にお邪魔しました。市立のホールにある天文台で無料で市民への奉仕のようなありがたい企画です。当日は残念ながら夕刻から降り出した雨で(経験上これはすぐに止むと思いました)到着して受付にいけば中止で視聴覚ホールで簡単な解説があるとのこと。

お天気はどうしようもないしそれはしょうがないことです。自宅ベランダでいつも見ている月と土星ですし(そもそもそれくらいしか見れません)、僕はそこの施設機器や係員の方がどういう解説をしてどういう操作をするのか、そんなことを見てみたかったのです。

ホールには親子連れでそこそこな人数となりました。そうか、夏休みかぁ、、無料とはいえ予約が要りますからきっとお父さんやお母さんに申し込んでもらって、ずいぶん前から楽しみにしていただろうのに望遠鏡を覗くことができなくて残念だろうなぁ。。と、そんなことを思って次々にホールに入ってくる子供の姿を見ていました。

 

しかし、、、ホールで担当の係員の方が「残念ながら....」との口上ではじまった動画は、何故か今夏のアメリカの皆既日食のビデオ動画を流して少しだけ付け足しの言葉を言っているだけのです。

 

もう一度書きますが今回の観望会のテーマは「月と土星」です。この時点で僕は「あ、、、アレ??ちょっとアカン人か?」と直感的に感じてしまいました。

自然相手の場合、当然雨天という可能性も50/50であります。最低限のその時の解説なども考えているのが一般的に普通に想像する担当者になった場合の心構えです。(天文のジャンルだけではなくどんなシーンでも同様です)

 なぜ今、皆既日食ビデオなのだ? 土星や月はどこにいった...

私は最前列のシートに座っていましたので子供たちの様子を伺うことはできませんでしたが、当惑した顔が容易に想像できます。(ただし日時的にアメリカ大陸を横断する皆既日食の時期でしたのでタイムリーというのは間違っていません、しかし...(笑))

もし晴れていれば、子供には普段目でつるんとしたまーんまるに見える月が望遠鏡で覗いたら、凸凹だらけで大発見で驚くことでしょう。肉眼では明るい点でしか見えない土星を、100倍以上に拡大したら、星の周りに輪っかがある図鑑に載っている星が本当に空に浮かんでいるんだということにうわー!という楽しさを目の当たりにするでしょう。同時に図鑑のように鮮明に見えないのだ、というガッカリ感も実際に体験して味わうことでしょう。

この集まりに予約までしてわざわざ来る子供たちというのは、家庭自体がそういう知的好奇心に対して理解があり、親子間の相互理解が備わっていると考えられます。公立の学校のように興味レベルがてんでランダムな子供の集団に興味を持たせる為に相当な時間を取られて苦心するような、そんな初期段階を自らクリアしている家庭の親子が進んで来ているのです。

なぜ、月のいろんなお話、月の不思議、伝えてあげないのでしょう。月にはほぼ半世紀前に人類がロケットで何回も降り立ったことがあるんだよ、アメリカの旗が立っているんだよ、とか、なんぼでも子供に興味をもっと持って帰ってもらえる可能性のある話はあります。子供が興味をもったから仕方なく、と連れてきた大人も、へぇ!ということがいっぱいあるでしょう。更に太陽系で木星と並んで一番ビジュアル的にも抜群のアピール度を持つ土星などを引き合いに出してくれば、子供の心を鷲掴みにしてしまう要素はもっと無数にあります。今度は絶対肉眼で見たくて見たくてたまらなくするような話は溢れるほどあります。

 

なぜ、そういう星に興味をもってわざわざ足を運んだ現代では奇特とも言える子供たちに、今日は雨で残念だったけどね、と、ワクワクするような話をしてあげないのでしょう?

 

もしかして、興味も知識も無い職員がたまたま天文台の担当になってしまったのかな?それならば人事的にお粗末としか言いようがないが仕方がない。言動にも納得がいくが。。。

と、解説の合間に「月と土星を楽しみに来た(僕もそう)子供たちがいるでの、月や土星に軌道修正してくれないかな」という意味でちょいちょいと合いの手を入れましたが、ビデオが無いし...などと日食のビデオが二巡目に入ってしまう有様です...。その時の返しなどから察するに、かなり天体興味や知識と観測の歴がある方のようにお見受けしました。ですが、それならなおさら前述した対応に更に残念感が増します。

 

きっとね、真面目で実直で星が好きなんでしょう。悪気もなく性根が悪い人では無いのはわかります。宇宙や望遠鏡の知識も豊富で導入もすぐにできるのでしょう。ひとりで天体観測をしている分には経験値も高そうでひとりで楽しむ分には性能は高そうです。

ですが子供がわくわく感いっぱい胸につめて来る施設の担当になったとしたら(仕事ですので否応なくかもしれませんが)それはそれで星の楽しさ、不思議、そして環境への気付きだとかに持っていける話ができないといけません。そんなスーパーマンに簡単になれるかどうかは人それぞれですから、ほとんどの場合できないかもしれませんが、できるかどうかよりもそれを精一杯しようとする姿勢と努力が一番大事なことで、もし来場者から見てて物足りない内容やぎこちない解説プレゼンであったとしても、必死に精一杯何か(この場合は天体の楽しさ)を伝えようとしている姿が感じられれば、それは必ず伝わるものですし、きっと今回感じた不満感などは感じません。

彼にはその大切な「自分が楽しくてしょうがないと感じた宇宙・天文のことを伝えたい」という姿勢が一切無かった。残念ながら微塵も感じることができなかった。

 

ずっと不器用にただビデオ(何度も言ってごめんなさいですが日食ですよ、日食 そりゃ僕もできたら見たいですよ日食、でも子供向けの月と土星の回でなんで日食?)に言葉を付け足しているだけで、もう僕は歯がゆく感じてダメだぁ!もぅマイクを貸せ!と言いたくなってしまいます。。

 

そんなに難しくないと思うんですよ。

係員の人がなんで宇宙が好きになったのか、子供の頃何を見て感動したか。今は何を見て感動しているのか、それを伝えれば良いと思うんです。

昔わからなかった不思議が今はわかるようになったこととか、いろんなことをいっぱい知ってるでしょうに。僕よりも遥かにいっぱい知ってるでしょうに。。。

特にあの時期、土星には今カッシーニという探査機が長い年月の観測を経て、とうとう最後を迎えようとしているのですよー!とかね。ほらこれだけでもうひとつの物語です。更にインパクトあるシーンとしては、カッシーニホイヘンスというプローブという小型探査機をずっと抱えてて、それを衛星タイタンにちょうどいい時にエィ!と発射して見事着陸させてしまうのです!だとかのくだりは、子供の頭の中でものすごい冒険絵巻になりますよ。

天文が大好きな人が星や他の勉強をいっぱいして大きくなったら、世界中の同じような天文バカが集結して、こんなすごいことをみんなで協力してできてしまうのですよ、あなた達の誰かがそうなるかもしれませんよ、って。ハイエンドの未来のビジョンも提示することもできるでしょう。

子供(大人でもいっしょ)の頭の中に「へぇ~」を植えて家でまたいっぱい両親や兄弟といっしょに調べてまた新しい疑問や知りたいことが増えるだとか、なんぼでも話題、きっかけ提供ができるでしょうに。。

そして、そういうきっかけづくりは、その施設の担当になった時点で彼の責任になっている、ということを彼が全く理解していないことが気の毒で仕方なかったのです。もっと気の毒なのはその地域の星に興味を持って胸をわくわくさせて足を運んだ市民とその子供たちです。彼の自らの意識や姿勢の変化、革命は何か宇宙規模的なキッカケが無い限りほぼ絶望的かと思いますので、担当者が変わらない限りこの状況の変化は望めないでしょう。

真正直に簡単に言えば、担当した彼の意識の欠落と不甲斐なさに少し腹がたちました。

雨だからしょうがないです。ただビデオを見せるだけでも何もしないよりかはいいかもしれません。担当者はせっかく普通とは違う世界を知っていて、そしてその同じ世界に興味を持った子や親がわざわざ来ているという状況で、なんであんな0%の話題提供で自分の仕事の達成感がどのくらいだったかとか考えられないのでしょうか、僕には理解ができません。普通は目標があったらそれを事前シュミレートしてそこに到達できなければ自分を恥ずかしく感じ、なぜそれが達成できなかったのかと考え、そして必要な勉強などを経て次回はより良くするために努力します。それが人間の普通の姿勢で普通の感情です。

人が人に何かを伝えてお互いが共鳴するあの感動や、興味をもって嬉しそうに帰ってくれる姿を見てもっと嬉しくなるだとか、一切何も無いのですよ。持っている能力を無駄にしているとしか思えません。担当という立場もあの状態ではマイナスの迷惑な肩書でしかなくなってしまいます。

足を運んだ子供の気持ち、親の気持ちを考えてないとしか思えなかったこと、その現場にガソリン代と時間をかけてわざわざ行って目撃・体験してしまったこと、そしてやはり一番はあの子供たちがガッカリしただろうな...とそれが非常に残念でした。

 

半ば呆れながら会場を出ると、予想通り雨もあがって空には月が煌々と照っています。車に積んでいる望遠鏡を出して、おっちゃんの双眼鏡や望遠鏡でせめてお月さんでも見てみるか?声をかけてあげたくなってしまいました。

 

個人では買うことができないすごく高価で大きな望遠鏡で見れることも大事で貴重な経験でしょうが、公的施設の役目というのは、興味を持っている子や人への小さなきっかけを続けて抱けるようにすることが一番の役割ではないでしょうか。もうその日からずーっとあの出来事は頭を静かにめぐってしょうがありません。

僕は宇宙や星のことは解説できるほど知りませんが、子供の頃からもっと宇宙ということついて興味を持ち続けていれば、ものの見方や受け止め方、ひいては人への接し方なども早くにより良いものへと変わったかもしれないなぁと感じています。安い望遠鏡で星を見たり、お月さんを見たりして、ただすごいなぁー、綺麗だなー、なんでああなるの?だとか、そういうことをいっしょに話たり考えたりするだけでも興味のきっかけや芽は続いていくものだと思います。それは自分が好きになったことを誰かも同じように感じてくれてそれを個別にお互い前進できればこんな嬉しいことは無いからです。

こういうことは天体だけでなく、仕事でも家庭でも日常でも、どんなジャンルでも同じでしょう。