なにわのアルゴ座

星見が好きな大阪のおっちゃんのブログです

誰でもわかる夏の大三角形 

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夜空を見上げるとどれくらいガッカリするかという、実にわかりやすい写真だと思います。猛者方々の天体系のHPやブログなどでは絶対載せないような恥ずかしい夜空なのですが、これが今夜の大阪市内のAM2:15の西の空です(パナソコンデジ ISO800 開放 4S Mモード)。

デジ一眼などで長時間露光をすれば夜空や街の風景でも見た目よりももう少し明るくキレイに撮ることも可能なのですが、肉眼での見え具合と同じような感じにしました。24mm画角ですのでベガとアルタイルだけであれば下の方の町並みも写るのですが、デネブを入れようとしたらもう町並みは入りません。

ここんとこはずっと雲も多く、今夜も南西や北西は雲で北斗七星すらかけらも見えませんが、澄んでいたらもっと見えるぞ、というほどでもありません。リサイズしたら消えてしまいましたが、かろうじてはくちょう座が結べるくらいは写っています。上に少し見えるのはベランダの天井で、ここらへんがベランダ観望の上限、とにかく星見にはひどい環境ですね。

ただ、ここでひとつだけ良い点をあげれば(全然良くないのですが)、思い切り明るい星以外はあっさり淘汰されてしまいますので、星に全く興味も無い人でも見上げれば一発で夏の大三角形が結べる、ということです。

...やっぱりあんまり嬉しくないかもですねぇ。。

 

星に興味を持ってから生まれて始めて星を見るためだけに望遠鏡とカメラを持って郊外の山の上に行ったときに(それでも大阪近郊ですので見え具合といえばたかがしれてるのですが)あまりの星の多さに自分の知識との脳内比較処理が追いつきませんでした。

ど...どれがどれ(・・;)?

という状態で、星座をひとつ結ぶだけで一苦労したのです。早見盤と何度も見比べ完全に納得するために双眼鏡で再確認して「あぁ、あれが○○座だな」と、ひとつひとつ確認して完全納得していくのです。その夜はほぼその作業だけで終わってしまったほど。

経験と知識が乏しいと星空を前にして途方に暮れることになるのだな、、と恥ずかしくも笑ってしまう事実を実感したことを思い出します。今は多少マシになりましたが、やはり満天の星空というのは僕にとっては非日常的光景ですので、嬉しさや喜びと同時に圧倒されてしまい、観測したかった星や星座に落ち着いて望遠鏡を向けれるようになるまでにしばらく時間がかかってしまいます。嬉しいんですよね、ただただものすごい星が見えるということ自体が。

 

僕と同じように星への知識も経験も無い人は、大阪市内で空を見上げれば、迷うことはありません。簡単に一瞬で夏の大三角形などが結べてしまいます。それしか見えませんから間違いようが無いのです。

ただ、他に見てみたい星や星座のほとんどが、もれなく見えませんが(アカンやん)。

 

もっと自由にISOや露出を制御できる一眼レフで数秒露光すれば、肉眼では見えない星も写って「あぁ、ここにもあそこにもこんな星があるんだな」と大阪でも星が消えて無くなっているわけじゃないということを実感できます。しかしそれには だいたいこのあたりには(見えないが)この星座があるはずだ、という前もっての自己知識が要ります。限られた見える星からの相対位置をイマジネートしての予測作業です。

いちいち写真を撮ってモニタ内で星見をする、というのも良い夜空に恵まれた地域の人からすればバカバカしい星見ですが(私もそう思いますが)都会で見えない星を見る方法としてはそれしかありません。

 

この夏はどこかで何泊かしていつもは見ることができない星座や、できれば星雲、そしてやはり天の川をゆっくりと肉眼で、望遠鏡で見てみたいものです。

このどうしようもない写真の空の中でも、天の川が斜めに渡っているはずなのです。

もちろん僕が子供の頃から大阪では天の川などは見えるわけはなく、いまだにこの目で天の川を見たという経験が片手で足りるほどです。都会は人によっては便利で快適と感じる面があるかもしれませんが、人生においてなんだか非常にもったいなく、損をしているよなぁと思います。

 

 

3点ネジファインダーの不思議 2点XYが100万倍使い良い

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ベランダ観望では見れるものが惑星か月くらいしかありませんので無くてもそれほど困ることは無いのですが、あれば非常にありがたいのがファインダーで、他所に星見に行くときはこれか低倍率にできる接眼が無いと夜空で露頭に迷います。

昔から3つのネジで位置合わせをしますが、これいつ頃からあるんでしょうね。天地がひっくり返っている上に非常に頭がこんがらがる方式で、上にいきたいのに斜めにいってしまったりして僕が下手くそなのも相まって何度も間違ってはネジをこねくり回すことが多いのです。

たいていの望遠鏡の本などでは熟練叩き上げの天文筆者が「いつか慣れます」とあっさり切り捨てられていて、要は鍛錬である、自己クリアしろと。ものすごいスポ根的で、ある意味「ファインダーくらい合わせれんのなら星見など百年早い」と言ってるわけじゃないでしょうが、少しそういうものもあるような気がしますw。仕方なく慣れない不器用な自分が悪いんだ、、、と微調整に不毛な時間をかけていました。

ですが、ミードの安い150mm反射望遠鏡に付属していた安物のファインダー、これが抜群のファインダーでありました。

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最初は普通のファインダーだと思っていましたがネジが2つしかありません。3つめのネジだと思っていたのはスプリングピンでした。更に2つのネジの位置があきらかに今まで知っているファインダーとは違います。直角になっていてXY移動が可能でした。

これによって、飛躍的にファインダーの合わせの時短が可能となりました。一瞬で終わる、といっても過言では無いほどです。前の方式と比べれば子供でも直感で説明もなく合わせられる方式です。

 

根性も鍛錬も要りません。ネジひとつに独立した移動する役割分担が与えられ、実に快適でたまりません。昭和40年式のポイント点火自動車から普及型でよいので最新の自動車に乗り換えたらこんな感じだろうなと思うほどの快適さです。

 

これを思いついた人は相当頭の良い人でしょうね。本当に素晴らしい発想です。

 

で、思ったのは、昔スポーツとか体育の授業でも、汗をかいて水分がどんどん出ていくのに自然の要求として水を飲もうと思ったら

「水飲むなぁー!バテる!」

とその場を仕切る先生でも先輩でも近所のおっさんでもなんでもいいのですが、とにかくその場の長がそう言ったものです。ほぼ必ず。

 

なんかそんなことを思い出したのです。つまり、今ほど色んなことが解っていない時代には、論理的に説明できないことなどや昔からそうなっていることは、根性や気合いでなんとかする、それがルールで掟でしきたりだったということです。月食や日食なども神の怒りだとか不吉の前兆となんでも神につなげて祈祷をしたり生贄をささげたりしてきました、黒猫は悪魔の手先だとか、あいつは魔女だ火あぶりだ、などなどいろんな都市伝説的なものが蔓延してそれが本気で国家規模で信じられて色んなバカみたいなことが起こりました。今でも一部ではローカルルールとして伝統だとか無形文化だとかに名前を変えて生き残っているのも珍しくありません。

「スポーツ水飲むな」は阿呆すぎて無形文化にはなりませんでしたが当時からなんとなく「なんで?殺す気か、馬鹿かよ」って思っていたのです。ですが周囲の大人も含めてほぼ全国民が「水を飲めばバテる」説を信じ切っている雰囲気でしたのでそんな中で異議を唱えることなどできません。

3点ネジのファインダーは空間を自在に移動させる素晴らしく単純明快な昔からの方法ですので、それを馬鹿にする気もありませんが、ただそれよりも100万倍理解しやすく実際的にも楽な方法があって、それを使ったら目から鱗が60cmくらいの層となるほど落ちた。ただそういうことです。

ただ同時に、えらくめんどくさいやり方を今まで「これが王道、これを熟せないといけない」と思ってやってたんだろう、と自分自身の行動をアホくさく思ったのも正直なところです。

似た事象では反射望遠鏡のセカンダリーミラーの調整の3点ネジも、たぶんもっとスマートでわかりやすく1億倍楽で画期的な方法が絶対あるよな、、と思いつつ、あー、あともーちょいだったのになんでココで急にグググーと動くんだよぉ... とチマチマと光軸調整する度に思ったりしてるのも事実です。

 

昭和スポ根信者系の先輩や先生などの常套句だった「水飲むな」ですが、必ずその後に、ほぼ100%つけられる文章があります。

「水な、口湿らす程度にしとけよ」

ほぼ全員が必ずこれを付け加えていました。今こんなこと言ってたら阿呆の極地ですが、当時は指導者教育者はもちろん、日本国民のほぼ全員がそう信じていたのですから信じきってしまう、異議を唱えられない雰囲気、というのは実に恐ろしいことです。

 

で、なんでまたこういう脱線をしたかというと、このXYファインダーを知ったあとにセレストロンのC6を順番としては買うのですが、当然ファインダーはこのXYタイプが付いてるものだと思っていましたら.... 昔ながらの3点ファインダーで「アレ?(・・;)なんで??」と非常に驚いたのです。

 

なんでより良いものがあるのに(高価でもないのに)それを使わないんだろう?

 

ただ、何が進化しているのかわかりませんが、C6のファインダーは一度調節すると滅多なことでは狂わないのが救いです。望遠鏡設置時の取手代わりに使っても狂いません。もちろんファインダーではなくベース部を掴むのですが、おそらくここの剛性が相当高いからだと思います(そう感じなければ怖くて取手代わりに掴みませんが)。

ただ、剛性が高いのはそれはありがたくて良いからそのままで、XYファインダーにして欲しかった。そういうのはいつまでもそう思い続けてしまいます。