なにわのアルゴ座

星見が好きな大阪のおっちゃんのブログです

野辺山博士は居なかった野辺山天文台

短いながらもまとまった夏の休みがとれたので家族で河口湖方面に行ってきました。もちろん夜はいっぱい星を見るぞと望遠鏡も積んでいったのですが、全行程で曇り/雨の天気で星を拝めるどころか富士山すら見えない状態で残念至極でありました。

そんな状態でしたので真の意味での一般的な観光家族旅行を楽しむことに全力を注ぐのですが、一箇所だけ是非行ってみたいところがありました。帰りに清里駅に寄って「釜飯」を約束するということで合意を得たというのは、世間ではよくある家庭内ディールだと思います。

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トラクター最優先の農道を走り、C56で有名な小海線の線路沿いに走ると、こんな光景が見えてきます。そうです、天文の聖地のひとつ野辺山天文台を見学したかったのです。

 

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ここには個人的にはどストライクな風体の野辺山先生がいらっしゃるはずなのですが、御多忙なのでしょう、現地でお目にかかることはできませんでした。パンフレットでそのお姿とご説明を賜りながら見学を進めていきます。(キーホルダーやストラップの類でも無いかと期待しましたが、それも無いみたいです。ニッチなヒット商品になると思うのですが...)

 

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広大な敷地にパラボラがドーン!ドーン!と圧巻の光景が広がります。ただ、ここにあるのは見えない電波をキャッチする望遠鏡ですので、ドームがあって見上げるような光学望遠鏡で度肝を抜かれるという一般的に天文台をイメージする一般人(家族)は拍子抜けの様子でした。例えば名称としては野辺山銀河宇宙基地や科学特捜隊本部とかの方がもしかしたらピンときたかもしれません。

 

奥にあるのが目玉の45m電波望遠鏡ですが、これに関しては行ってきた画像だとか(私も撮りましたが)さんざんアップされてるでしょうし、電波のうんぬんや機能詳細あーだこーだは野辺山天文台HPなどで完璧に書かれていますので、一般向けにわかりやすい図をつくってみました。

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のべやま45は高さ50mで重さは700トンもあります。でかいんですよ、とにかく。近くに行けばもう24mmなんかでは3分割しないと入りきらないほどでかかったです。

入り口でもらったパンフ冊子のイラストが右のもので、それに比較対象として記憶を巡らせてみて近いものを入れてみました。平成の若者にはわからないかもしれませんが、超電磁ロボット コンバトラーVが大きさ、重さ的にかなり近似です。子供の頃オンタイムで主題歌を歌っていた時には、「たいじゅう550トンって想像もつかなくすげーなー」と思っていましたが、のべやま45の方が重いのには驚かされます。

候補次点で身長的には初代ゴジラがちょうど50mでピッタリなのですが、初代ゴジラは体重が更に破壊的で20000トンもありますので比較対象から漏れてしまいました。ゴジラはその後作品ごとに身長も体重も増減を繰り返してしまい一貫性がなく、空想とはいえ少々リアリティに欠けます。

ちなみに昭和の国民的空想兵器といえば実際にお台場にも出現した初代ガンダムRX78-2。こちらは身長18m、重さは43トンですので両者と比べるとはるかに子供みたいなものになります。しかしガンダムは存在そのものがほぼ確実に兵器ですので実際に戦うとコンバトラーVといい勝負をするかもしれません。のべやま45mの攻撃力は当然ゼロですので、戦闘が始まったらイの一番にクチュン...と破壊されてしまうでしょう(せめて逆使用で破壊地獄電波でも発射でき、一撃で致命傷を負わすことができればまだ勝機はありますが、もしそれが可能であってもオペレーターは戦闘訓練を受けていないので、1発目はまさかの奇襲で効果が期待できますが、2発目の照準を合わせている間に呆気なくやられてしまうかもしれません)。

 ちょっと遊びで比較してみたのですが、我らが初代ガンダムの小ささが圧倒的で驚いてしまいました。お台場で見たときは本当に大きくて感動したのですが。。。(コンバトラーVがでかすぎとも言えます)

 

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さて空想科学は果てしなく広がってしまいますので現実に戻りましょう。もうお役目が終わった10m望遠鏡は戦い終わった白いモビルスーツのような具合で、何か哀愁を感じさせます。ボロ具合が妙にカッコイイですねぇ。駆動音などはどんな音がしていたのでしょうか。というか、何故男子はモーター音ですら良い音と捉えることができるのでしょうね。今はもうサーキットでも規制がかかってしまい聞くことが難しくなりましたが高度にチューニングされたレシプロエンジンの排気音も同様です。

 

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太陽観測ヘリオグラフ干渉計の整列はストームトルーパーのようで壮観でした。また昭和になりますが、アンドロ軍団の監視ロボにも激似でたまりません。ヘリオグラフは84基設置されています。この数というのが絶妙な計算からくるのですから、頭の良い人が考えることは具現化しても美しいもんだなぁと感心しまくります。

そうそう気軽に何度も訪れることができない場所ですので端から端まで歩き説明パネルも全て熟読します。ですので他の見学者さんよりも倍以上滞在時間が長くなります。太陽観測は昔はSUNフィルターや穴の空いたプリズムなどで長時間観測でケルナーを溶かしたりw、昭和の太陽観測というのはけっこうアグレッシブでした。今じゃメーカーへの訴訟だなんだで大変なお祭り騒ぎになってしまうでしょうね。

昔の機器やフィルターでいろいろやっても、コロナやプロミネンスは個人では皆既日食時でないと観測できませんでしたが、今では海外製の太陽望遠鏡で可能となっているようです、覗いてみたいですね。2017/08/22にはアメリカでかなり条件の良い皆既日食があります、WEBやYOUTUBEでのUPロードが楽しみです。

 

 

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中継の設備でしょうか、その蓋というかカバーに....寸胴が使われていました(笑)

サイズ的に、具合的にちょうど良かったのでしょうか。他の場所にも同様のものがあり、そこにも同じ寸胴が使われていたので、備品リストに「鍋」ってちゃんと入っているのでしょうね。ちょっと吹き出してしまいました。

 

 

カール・ジャンスキーが天体の電波を捉えたのが1931年。その後グロート・レーバーが電波望遠鏡(なんと自作!)で強い電波源があるのを観測して論文として発表したそうですが、当時の学会では信憑性に疑問をもったりしたそうです。世の常ですね、地位や権力を持つ人は天文に限らずほとんどの分野で名前なんか聞いたこと無い下の意見なんか聞いちゃくれないですよね。自分が地軸という人はそれこそ星の数ほど地上に居ます。で、かのチャンドラセカールが事実検証を行ってようやく認められるようになったそうです。影響力のある人が「OK」と言ったら今まで嫌がらせに近い巨大な人間の壁が邪魔して通らなかった案件や提案も、何もなかったかのようにスルスルと進むようになったりするのも、これまた世界の七不思議よりも不思議などこにでもあることと同じです。

で、そのジャンスキーやレーバーの観測電波の正体は、結局ブラックホールだったのですが、背景放射の時のように「それ、もしかしてブラックホールを証明することになるんじゃないか!」と地球規模でドッカーン!となってもおかしくないのに、おもいつかなかったのかわかんなかったのか、あんまり誰もわーわー言わなかったそうで。。。 

ブラックホールを見逃し三振した当時の天文学者は肩書を捨てたくなるほど、外を歩けないほど恥ずかしく思ったんじゃないかと想像してしまいます。

 

 

 

誰でもわかる夏の大三角形 

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夜空を見上げるとどれくらいガッカリするかという、実にわかりやすい写真だと思います。猛者方々の天体系のHPやブログなどでは絶対載せないような恥ずかしい夜空なのですが、これが今夜の大阪市内のAM2:15の西の空です(パナソコンデジ ISO800 開放 4S Mモード)。

デジ一眼などで長時間露光をすれば夜空や街の風景でも見た目よりももう少し明るくキレイに撮ることも可能なのですが、肉眼での見え具合と同じような感じにしました。24mm画角ですのでベガとアルタイルだけであれば下の方の町並みも写るのですが、デネブを入れようとしたらもう町並みは入りません。

ここんとこはずっと雲も多く、今夜も南西や北西は雲で北斗七星すらかけらも見えませんが、澄んでいたらもっと見えるぞ、というほどでもありません。リサイズしたら消えてしまいましたが、かろうじてはくちょう座が結べるくらいは写っています。上に少し見えるのはベランダの天井で、ここらへんがベランダ観望の上限、とにかく星見にはひどい環境ですね。

ただ、ここでひとつだけ良い点をあげれば(全然良くないのですが)、思い切り明るい星以外はあっさり淘汰されてしまいますので、星に全く興味も無い人でも見上げれば一発で夏の大三角形が結べる、ということです。

...やっぱりあんまり嬉しくないかもですねぇ。。

 

星に興味を持ってから生まれて始めて星を見るためだけに望遠鏡とカメラを持って郊外の山の上に行ったときに(それでも大阪近郊ですので見え具合といえばたかがしれてるのですが)あまりの星の多さに自分の知識との脳内比較処理が追いつきませんでした。

ど...どれがどれ(・・;)?

という状態で、星座をひとつ結ぶだけで一苦労したのです。早見盤と何度も見比べ完全に納得するために双眼鏡で再確認して「あぁ、あれが○○座だな」と、ひとつひとつ確認して完全納得していくのです。その夜はほぼその作業だけで終わってしまったほど。

経験と知識が乏しいと星空を前にして途方に暮れることになるのだな、、と恥ずかしくも笑ってしまう事実を実感したことを思い出します。今は多少マシになりましたが、やはり満天の星空というのは僕にとっては非日常的光景ですので、嬉しさや喜びと同時に圧倒されてしまい、観測したかった星や星座に落ち着いて望遠鏡を向けれるようになるまでにしばらく時間がかかってしまいます。嬉しいんですよね、ただただものすごい星が見えるということ自体が。

 

僕と同じように星への知識も経験も無い人は、大阪市内で空を見上げれば、迷うことはありません。簡単に一瞬で夏の大三角形などが結べてしまいます。それしか見えませんから間違いようが無いのです。

ただ、他に見てみたい星や星座のほとんどが、もれなく見えませんが(アカンやん)。

 

もっと自由にISOや露出を制御できる一眼レフで数秒露光すれば、肉眼では見えない星も写って「あぁ、ここにもあそこにもこんな星があるんだな」と大阪でも星が消えて無くなっているわけじゃないということを実感できます。しかしそれには だいたいこのあたりには(見えないが)この星座があるはずだ、という前もっての自己知識が要ります。限られた見える星からの相対位置をイマジネートしての予測作業です。

いちいち写真を撮ってモニタ内で星見をする、というのも良い夜空に恵まれた地域の人からすればバカバカしい星見ですが(私もそう思いますが)都会で見えない星を見る方法としてはそれしかありません。

 

この夏はどこかで何泊かしていつもは見ることができない星座や、できれば星雲、そしてやはり天の川をゆっくりと肉眼で、望遠鏡で見てみたいものです。

このどうしようもない写真の空の中でも、天の川が斜めに渡っているはずなのです。

もちろん僕が子供の頃から大阪では天の川などは見えるわけはなく、いまだにこの目で天の川を見たという経験が片手で足りるほどです。都会は人によっては便利で快適と感じる面があるかもしれませんが、人生においてなんだか非常にもったいなく、損をしているよなぁと思います。